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透谷について書きだしてから、なぜかわたしは心という言葉をしばし使うようになってきた。「心宮内の秘宮」の「心宮」のもつ影像の魅力であろうか、心という言葉を使うたびに、「こころ」ではなく真珠のようにひかる「心宮」を想いうかべる。透谷を読む以前といまとでは、心とう言葉の姿がまったく変わってきているのに気づく。
余は白状す/透谷ノート/吉増剛造
日時: 2007年03月11日 01:32 | パーマリンク
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